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信濃よいとこ:小林邦夫作詞/西条八十補作詞・町田桂聲作曲/小林直与志編曲 |
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| 歌詞 | 解説 |
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俺が善光寺さんは 常夜灯の明り 末世衆生の 涙を照らす 鐘が後ひく後ろ髪 信濃よいとこ 阿弥陀の国阿弥陀の国 |
長野市にある善光寺は、今でも年間七百万人の人が訪れるという、阿弥陀信仰の古いお寺。
本尊の一光三尊阿弥陀如来像は、勅命により秘仏でその姿を見せることがないが、分身の、前立本尊を7年に一度御開帳する。
このとき建てられる回行柱に触れると極楽往生できると信じられている。
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諏訪の湖 おぼろに暮れて 遠く光は かぶとか星か ままよ流れて 天竜峡の 舟で別れの唄に泣こ 信濃よいとこ 水の国水の国 |
諏訪湖に端を発する天竜川は、木曽山脈・赤石山脈の雪解け水を集め、伊那谷では、河岸段丘を形成し、名勝天竜峡では、狭い渓谷を急流となって
下り、遠州灘に注ぐ全長213kmの大河である。甲武信ヶ岳に端を発する千曲川は、東信濃を流れ、アルプスの水を集めた犀川と長野盆地で合流し
、信越国境で信濃川と名を変え、日本海に注ぐ全長220kmの日本一の大河。 |
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信濃乙女は 糸繰る乙女 モダン都は 思わず暮らす 蚕休みを ちょいと出て逢おか 山の桑畑 月あかり 信濃よいとこ 糸の国糸の国 |
明治になって、国の殖産政策とあいまって、信州では、養蚕と絹糸の製糸業が盛んになり、農家の副業として蚕が飼われ、繭を集めた製紙工場が
各地にあった。昭和恐慌でその勢いは衰えたが、ナイロンの発明で決定的なダメージを受けた。岡谷は日本一の生産規模を誇った。蔵の町須坂にもその名残を残す。蚕の飼料の桑畑も姿を消し、果樹園がとって替わっている。
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燃ゆる浅間の 麓の咲いた 赤い涙の 染分手綱 泣いて送った 追分節に 残る碓氷の 山紅葉 信濃よいとこ 唄の国唄の国 |
江戸時代中山道と北国街道の分岐点追分宿で唄われた追分節は、江差追分など日本各地に伝わる追分節の元祖。その追分節も馬子唄として歌われた小室節が、発展したものである。大正になって信州中野出身の中山晋平によって始められた新民謡が古い民謡にとって替わっていったが、今でも伊那節・木曽節など古い民謡は残り盆踊りなどに唄われる。
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・参考:信濃の民謡:Victor VZCG-87 ・制作:99/04/10 |