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信濃の民謡:伊那節 いなぶし |
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天竜川流域の長野県伊那谷地方の祝歌,盆踊歌。現行の歌詞は1916年に伊那風景探勝会が,観光宣伝を目的に募集したもので,入選作の一つ。作詞は小笠原秀雄。元歌は木曽地方で古くからうたわれていた「御岳節」伊那と木曾を結ぶ権兵衛峠の「馬子唄」でもある。33年7月市丸が歌ったレコードが発売され,全国的に流行した。
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| 歌詞 | 解説 |
| わしが心と 御岳山の 胸の氷は 胸の氷は いつとける ア ソリャコイ アバヨ |
御岳(おんたけ)・御岳山節(おんたけやまぶし)などと呼ばれた伊那節の元歌。木曽の御嶽山の「峰」と人の「胸」とをかけて歌っているこの歌は、木曽の御嶽山を仰ぐ麓の村で歌い継がれてきたもの。が、伊那から米を運ぶ馬追いに伝えられ馬子唄となり、明るい内容から酒の席に無くてはならない歌として歌い広められると共に、伊那の風物も多く歌い込まれ、名前も伊那節として広く知られるようになった。 ,囃子詞〈ア ソリャコイ アバヨ〉は峠を往来する馬子たちの挨拶からできたものだという。 |
| 胸の氷は 朝日でとける 娘島田は 娘島田は ねてとける ア ソリャコイ アバヨ | |
| 木曽へ木曽へと つけ出す米は 伊那や高遠の 伊那や高遠の なみだ米 ア ソリャコイ アバヨ |
木曽は米の生育に適した土地が少なく産米が少なかったため、古くから伊那谷の上伊那地方から米を木曽地方に運んでいた。特に元禄9年(1696)伊那谷と木曽谷に横たわる中央アルプスの権兵衛峠を越える道が開削されてからは一段と人馬の往来が盛んになった。
幕末皇女和宮の降臨の再中山道の道普請が行われたが、これらの使役に伊那谷からこの道を使って多数の人足がかり出された歴史もある。 |
| なみだ米とは そりゃ情けない 伊那や高遠の 伊那や高遠の あまり米 ア ソリャコイ アバヨ | |
| 桑の中から 小唄がもれる 小唄 聞きたや小唄 聞きたや 顔見たや ア ソリャコイ アバヨ |
明治以降、第二次世界大戦後ナイロンが生まれるまで
養蚕による絹の生産では、長野県は、日本一の生産量を
誇り、農家の副業として、養蚕が盛んに行われた
信州の農村では、養蚕に使う桑畑が沢山あった。
県歌「信濃の国」に歌われる”桑とりて 蚕飼いの業の 打ちひらけ”
は、この産業について描写している |
| わたしゃ 伊那の里 伊那の里 谷間の娘 蚕怖がる 子は生まぬ ア ソリャコイ アバヨ | |
| 東仙丈 西駒ヶ岳 あいを流れる あいを流れる 天竜川 ア ソリャコイ アバヨ |
伊那谷の景観である。東にアルプス連峰、西に中央アルプス連峰が聳え、中を天竜川が流れ、見事な河岸段丘を形成する。仙丈岳は、そのうつくしい山姿を見せる、南アルプスの高峰であり、駒ヶ岳は、伊那谷からは、南アルプスの東駒ヶ岳(甲斐駒ヶ岳)と対をなし西駒ヶ岳と呼ばれる、中央アルプスの主峰である。 |
| 天竜下れば 飛沫がかかる 持たせやりたや 持たせやりたや桧笠 ア ソリャコイ アバヨ |
今は多数のダムで堰き止められている天竜川は、江戸時代筏を組んで材木の運搬に利用された。今では、観光目的で、船下りが行われている。航路は、飯田の?から時又港、天竜峡から笠松港の二航路が用意されていて、鉄砲水と呼ばれる天竜川の急流を楽しむことが出来る。特に天竜峡は、川幅が急に狭くなり、両側に高い岩がそびえ立つ名勝の地である。ここは、最近天然ラドンの温泉が掘削され温泉郷として観光客を呼び込んでいる。
この歌詞は、普通伊那節の出だしに使われ、市丸姉さんの美声と共に、伊那節を広めた由緒を持つ。 |
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・参考:NHK長野放送局編「信濃風土記」・塚田昌明著「長野県の歴史」山川出版社刊 ・制作:99/01/09・更新:99/02/07 |