![]() 中山道 佐久路 ![]() |
中山道は、江戸時代の五街道の一つ.江戸板橋宿を起点とし、近江(滋賀県)守山宿まで六七宿.信濃路は碓氷峠を越えて、 軽井沢宿に入り、木曽の馬籠宿まで二六宿であった.中山道は、東海道と共に、江戸と京都を結ぶ道であったが、 東海道の方が、交通量も多く宿場の規模も大きく、東海道が126里余五三宿であったのに対し、 中山道は、139里で距離も長く、その上、碓氷峠をはじめ和田峠など峠が多く、人馬の往来に困難であったが、 人の往来が少なく、大河もなく、その渡りや渋滞も少なく、女道とも呼ばれ、盛んに利用された.江戸時代末期、皇女和宮 降嫁に使われた道であった.今の碓氷峠を越える信濃路への道は、国道18号線であるが、追分宿から北国街道を往き、 しなの鉄道、長野行き北陸新幹線、上信越自動車道が、ぼぼ併走する.小諸・岩村田間(小諸道)が国道141号線、 岩村田・上諏訪間が国道142号線である,追分・岩村田間は、旧道を往く. |
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宿場峠 |
場所 |
高速道 |
概要 |
温泉などの案内 |
照会先・分岐など |
碓氷峠 | 標高1180m・信濃への出入り口。箱根・足柄と並び称されたほどの天下の険。上州(群馬県)との国境の峠。畿内と東国を結ぶ古代東山道の要衝であったが,碓氷峠の南の入山峠をさすといわれる。鉄道も66.7/1000の急勾配(信越本線)。長野行き北陸新幹線開設で横川・軽井沢間は、廃線となった. 日本武尊が、東征の折り、ここで弟橘姫(おとたちばなひめ)を偲び、「吾嬬はや」と嘆いた所(県歌「信濃の国」に歌い込まれている).熊野皇大神社:信州側に那智宮。上州側に新宮。国境に新宮がある。 | 前の宿は上州坂本・トンネルの開通は明治26年・上信越自動車道は和美峠下を抜ける | |||
軽井沢 | 軽井沢町 | 碓氷峠軽井沢 | 北佐久郡軽井沢町:浅間三宿の一つ。 旧街道の面影はない。別荘地・夏の避暑地として有名、避暑地軽井沢を世に知らしめた英国人宣教師 A.C.ショー:日本聖公会教会ショー記念礼拝堂に彼 の面影を偲ぶ。 | 重文:旧三笠ホテル・雲場池・ 白糸の滝・文学碑 ゆうすげ・塩沢・小瀬・星野 塩壺・千ヶ滝温泉 |
上信越自動車道碓氷峠軽井沢ICから県道下仁田軽井沢線で約12km 軽井沢町観光商工課: 0267-45-8111 |
沓掛 | 沓掛は現在の「軽井沢町中軽井沢」 軽井沢と追分の間の宿駅。草津道を通じ、物資輸送上では重要地点であった |
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追分 | 北国街道との分岐点。(分去れ) 茶屋「つるがや」に往時の面影をみる。油屋(脇本陣)・土屋氏(本陣)改築。 [ふき飛ばす石も浅間の野分かな」芭蕉 |
浅間神社・諏訪神社;
民謡「追分節」・そば:ときや本店; 鉄道:しなの鉄道追分駅下車浅間山目指し北へ徒歩10分・R18横切る。 |
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追分の分岐で旧街道を南に下る。往時の街道の面影を残す。国道18号は北国街道へ。信越本線・上信越自動車道とも国道18号沿いを走る。国道は、141号線が小諸市から南下し岩村田で合流する。岩村田からは142号線。和田峠越えは中山道随一の難所 |
宿場峠 |
場所 |
高速道 |
概要 |
温泉などの案内 |
照会先・分岐など |
小田井 | 御代田町 | 佐久 | 北佐久郡御代田町小田井:往時を色濃く残す。用水路・格子作りの古い家並み・本陣荷送り中継点の重 要な役割(二軒の独立した問屋):訪れてみたい歴史町 |
大谷地温泉 鉄道:しなの鉄道御代田駅下車・岩村田方面行きバス5分・小田井中央下車 |
御代田町産業経済課: 0267-32-3111 |
岩村田 | 佐久市 | 佐久 | 佐久市岩村田: 1万5千石内藤藩の城下町・商人の町。佐久鯉発祥の地。古代の大井郷,中世の八条院領大井荘の中心集落。中世後期には守護小笠原氏の一族大井氏が支配した. |
湯川温泉;龍雲寺(武田信玄の遺骨)・
江戸時代前の古宿場:荒宿通り 交通:JR小海線岩村田下車・しなの鉄道小諸駅からバス20分 |
![]() ![]() ![]() 佐久市商工観光課: 0267-62-2111 |
塩名田 | 浅科村 |
北佐久郡浅科村(あさしなむら)塩名田(しおなだ):
ここで千曲川を渡る。川幅中州を含め30間180m・本陣(丸山氏宅) 浅科村は、古代の官牧望月牧の一部を含み,御牧原(みまきがはら)には御馬寄(みまよ せ),駒寄など牧に関連する地名が今に残る。。 |
船つなぎ石;重文「駒形明神社」 交通:しなの鉄道小諸駅から塩名田経由野沢行きバス約20分・県道塩名田佐久線沿い。 浅科村産業課: 0267-58-2001 |
浅科村産業課:0267-58-2001 | |
八幡 | 浅科村 | 北佐久郡浅科村八幡:宿の名は八幡神社に由来する。浅科村の中心集落 | 重文「八幡神社」高良社(こうらしや);あさしな温泉穂の香乃湯 |
浅科村産業課: 0267-58-2001 | |
望月 | 望月町 | 北佐久郡望月町:古代の官牧「もちずきの牧」。街道沿いの昔ながらの看板多数。下駄屋の看板は下駄の形。 隣の間の宿・「茂田井(もたい)」に、造り酒屋:武重本家・大沢酒造の酒林 |
重文:旅籠真山(さなやま)家住宅・福王寺の木造阿弥陀如来座像;天来記念館,馬事公苑;
春日温泉・望月温泉;
春日渓谷の紅葉 地酒:金蝶・ 御園竹・大吉野 |
望月町企画課: 0267-53-311 | |
芦田 | 立科町 | 北佐久郡立科町芦田: 南北に細長くのび,南縁には蓼科(たてしな) 山,八子ヶ峰(やしがみね)がそびえる。中心集落の 挿田は近世には中山道の宿駅として栄え,小諸 藩の生糸改所が設けられていた。 | 格調高い旅籠「つちや」; 立科温泉権現の湯; 信濃五山の一つ「津金寺」 |
立科町観光商工課: 0267-56-2311 | |
笠取峠 | 標高887m:天然記念物指定。芦田宿と長久保宿の間;揺るやかの昇り:小県と佐久の郡境 | 天然記念物:笠取峠の松並木;753本→110本残・約1000米。遊歩道公園・国道142号線は併走 | |||
長久保 | 長門町 | 小県郡長門町: L型の家並みの宿。下諏訪へ28km・追分へ32km中間点として賑わう。町域の大半は霧ヶ峰北東麓の広大なすそ野で,千曲川の支流依田川の扇状地にわ ずかに水田が広がる。 |
中山道最古(寛永)の本陣跡・りんどうの郷温泉センター・長門温泉やすらぎの湯 交通:しなの鉄道上山田駅下車上田丸子電鉄バス50分・中央東線下諏訪駅下車バス70分 |
![]() 長門町観光協会: 0268-69-2911 | |
和田 | 和田村 | 小県郡和田村: 江戸より28番目の宿場町・信州の中央に位置し下諏訪へは五里半(21.6km)風光明媚な宿・峠越えの準備の宿 「木問屋」が材木輸送の要役。村域の90%が山林・原野で,耕地は依田川沿いなどに限られる。 |
旧石器時代の黒耀石の原産地の遺跡:男女倉遺跡・古い歴史を誇る村・和田宿温泉「ふれあい
の湯」・史跡和田宿本陣;美ヶ原高原; 交通:JR北陸新幹線上田駅又はJR中央線下諏訪駅下車バスいづれも60分 |
和田村振興課: 0268-88-2345 | |
和田峠 | 標高1531m・中山道信濃路随一の難所・冬は降雪・黒曜石の峠・頂上に「地蔵菩薩」石像と「馬頭観世音」の二つの碑・下 諏訪への九十九(つづら)折の急坂を下る。 |
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宿場峠 |
高速道 |
概要 |
温泉などの案内 |
照会先・分岐など | |
和美峠 |
984m下仁田街道(43)上州下仁田と軽井沢を結ぶ峠。中山道の碓氷(うすい)関は〈入鉄砲出女〉の制限が厳しく,女人は富岡,下仁田を経て信州の沓掛宿に出たが,この女街道(姫街道)が和美峠を越えており,中山道の脇往還として利用された | 女街道・中山道脇街道・上信国界;軽井沢への表玄関 | |||
大門峠 | 1443m・古の東山道の峠・車山東部の鞍部・茅野市との境界。大門街道(152)は上田・善光寺への道・武田信玄の軍用棒道徳川秀忠が関ヶ原に向かった峠 | 長門町観光協会: 0269-69-2911 | |||
武石村 | 小県郡武石村: 村域の大部分が筑摩山地に属し,西部に美ヶ原が広がる。主産業は農業。ビーナスラインの完成(1981)により美ヶ原 の観光地化が進み,観光客も年々増えている | 岳ノ湯温泉 美ヶ原高原・美ヶ原高原美術館;と もしび博物館 |
武石村商工観光課: 0268-85-2311 |
・参考リンク:江尻光良の別荘と中山道のページにある中山道のページ:バーチャル中山道「新・岐蘇路安見絵図」・信濃国 ・軽井沢−沓掛−追分・小田井−岩村田−塩名田−八幡・望月−芦田−長久保−和田 ・参考文献:宮本常一著「塩の道」講談社学術文庫 ISBN4-06-158677-7 :日本歴史地名大系 第20巻 平凡社 ISBN4-58-249020-4 ・更新:98/07/05・00/10/09・01/10/16 Copyright © 2000 Shunji Mori All rights reserved. ![]() |