信濃の民謡:小諸馬子唄

荷駄を摘んだ馬を曳く馬子が街道の景観を見ながらゆったり美声で歌う声が聞こえてくるような情感が伝わってくる。こんな姿は車社会の今ではもう望めない。
浅間根越しの三宿といわれた軽井沢・沓掛・追分小諸あたりは駄馬の交通が盛んであった。この小諸馬子唄は、このあたりの馬子衆が歌い出した唄で、追分宿の飯盛女の三味線によって「信濃追分」と命名されるようになったという。この信濃追分は、江差追分など各地の追分節の元祖となって伝わったという。
歌詞
小諸でぬけりゃ 浅間の山にヨー
今朝も三筋の  煙立つ
        ハイハイ
江戸から中山道を京に・金沢にのぼるとき碓氷峠を越え信州入り、軽井沢沓掛追分の三宿を過ぎると、諏訪・木曽方面へ抜け京に通ずる中山道と北国越後の高田・加賀の金沢へ抜ける北国街道がありまた、沓掛からは、短いが険しい荷駄の道「草津道・大笹街道」が、北国街道福島宿へ通じていた。これらの街道は、大名行列・善光寺参り・佐渡の金や、海で採れた塩など牛馬で運んだ賑やかな道であったに違いない。 小諸は、「北国街道」の宿場町で、江戸時代旧牧野氏1万6千石城下町でもあった。今でも城趾は「懐古園」と呼ばれ、春は桜の名所として知られ、場内には、島崎藤村の「千曲川旅情のうた」や藤村記念館があり、見晴台からは千曲川を見下ろせる絶景の地であり、休日には市民や観光客の足が絶えない。
浅間山は、佐久平野からはどこからでも見られる代表的な活火山である。そのまろやかな優美な姿は、文学に、絵の画材に芸術の対象として、島崎藤村の詩に、堀辰雄の文学に、 梅原龍三郎や地元の画家小山敬三の油絵(懐古園に小山敬三美医術館がある)などに盛んに描かれている。ただ優しげな姿も時々噴火をを繰り返ていて、鬼押し出しにみる膨大な凝結溶岩の山は、天明3年(1783)の浅間山大爆の痕跡を今に伝えていて、当時の惨事を彿させる。
浅間根腰の焼野の中に
菖蒲咲くとは しおらしや
        ハイハイ
ここはどこだと 馬子衆に問えば
ここは信州 中山道
        ハイハイ
浅間山から 出てくる水は
雨も降らぬに 笹にごり
        ハイハイ
黒馬(あお)よ啼くなよ
 もう家(うち)や近い
森の中から 灯が見える
        ハイハイ

・小諸馬子唄全国大会が毎年4月中旬小諸市市民ホールで行われている。(問)小諸馬子唄全国大実行委員会 0267-22-6665
・参考:塚田昌明著「長野県の歴史」山川出版社刊
・制作:99/01/27・更新:01/07/12

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