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更埴点描・97.08.01
長野道豊科IC(安曇野散策)+北国西街道(国道19号+明科
分岐+国道403号+聖高原)のルートで更埴市を訪れた。 明科では、信泉会でよく訪れる明科駅前の「高野屋」によった。 開店は、午前11時半。そばは勿論、茸の和え物が旨かった。 国道403号は、車があまり通らないあまり舗装の良くない道路 であったが、車がすくない分だけ快適であった。 聖高原(麻績村)を過ぎると下り坂、途中姨捨駅に右折する手前 に、善光寺平を一望できる展望台があった。姨捨の景観は、信州 三景観の一つ。霞んでいたが、善光寺平が、広く一望できる景観 を楽しめた。足下に田毎の月で有名な段々田は、小さくみえた。 坂を下りきった所の交差点で「武水別神社(八幡宮)」の案内に 出会った。参拝する。此処は、今は、宗教法人神社本庁別表神社 に属する格式の高い神社。交通安全の神様で著名な所という。 探していた天台宗信濃五山のい一つ「更級八幡神宮寺」は、此 処かなと思って、神社の方に訪ねてみた。神宮寺は、神社の外の 左手にある旨聞いて早速訪ねてみた。それらしき一画の境内にわ らぶき屋根の家がある寺は全く寂れていて、それが更級八幡神宮 寺かは確認できなかった。そうだとすれば明治の廃仏毀釈の激し さを物語る典型であろう。前に訪ねた「戸隠山顕光寺」も礎石を 残すのみであった事を思い出した。 近くの旧北国西街道の宿場町で、越後十日町に通じる谷街道の起点であった「稲荷山」も訪ねてみた。ここは、江戸時代越後との交易の中継地として呉服問屋を中心に商取引の場として栄えた町。かっての北信濃最大の宿場町であったという。明治以降は、 生糸と絹織物で栄えた町である。白壁・粗壁・なまこ壁・腰板張 りの壁んどの大きな蔵が未だ随所に残されていた。歴史の町であ る。 更埴インターから96年新しく開通した上信越道ののり帰京した 写真をクリックすると拡大写真又はガイドが、みられます。 ・制作:97.08 |