長野県:郷土の作詞家「高野辰之」


高野辰之【たかのたつゆき】(M9/1876〜S22/1947):豊田村出身の国文学者,1910年東京音楽学校(現,東京芸術大学音楽学部)教授となる。広く文献資料を収集・考証し,邦楽,歌謡,演劇の芸態とその史的研究の先駆者として未踏の分野を開拓した。1925年論文「日本歌謡史」により文学博士の学位を受け(翌年刊行),1926年から東京大学で日本演劇史を講じた。のち大正大学教授に就任。晩年は、野沢温泉村の別荘で過ごした。
小学唱歌の作詞者として著名。その代表作として、彼の幼少を過ごした信州の自然を織り込んで作詩した「故郷」「おぼろ月夜」「紅葉春がきた」「春の小川」 などがある。いずれも今でも皆にに親しまれている郷愁を誘う歌である。先に挙げた四曲は、平成元年NHKがおこなった「日本のうた ふるさとのうた」100選に選ばれた曲である。
また、郷里の豊田村には、「故郷」の記念碑・高野辰之記念館が、野沢温泉村には、「朧月夜」歌碑が建てられていて「おぼろ月夜の館」という名前の記念館がある。
故郷(ふるさと):高野辰之作詞・岡野貞一作曲
兎追いし かの山
小鮒(こぶな)釣りし かの川
 夢は 今も めぐりて
 忘れがたき 故郷(ふるさと)
この歌を聴くと、この歌を歌うと、人々は、故郷を想い出し、それぞれの故郷の情景が浮かんでくる、日本の歌・ふるさとの歌を代表する歌である。
作詞の高野辰之の幼少時代を過ごした故郷の風景・望郷の思いを描写したと伝えられる。 兎を追った山は、大平山・小鮒を釣った川は斑川であるという。
作曲の岡野貞一は、鳥取出身で、高野とコンビを組み、小学唱歌の中の名曲を手がけた。こよなく愛し故郷の砂丘をたイメージを作曲するときには思い浮かべたであろうと、砂丘を愛した様を岡野の様子を夫人から聞いた話を「教育音楽(1988刊)」の紹介している作家の鮎川哲也がいっている。
この歌は。大正五年(1914)「尋常小学唱歌(六)」にはじめて登場した。
歌碑が、作詞:高野辰之の出身地豊田村に、岡野貞一の出身地鳥取市の久松公園入口にある。因みに鳥取のキャッチフレーズは「山青き水清き ふるさと 久松山」であるという。
如何にいます 父母(ちちはは)
恙(つつが)なしや 友がき
 雨に 風に つけても
 思い出ずる 故郷
志(こころざし)を はたして
いつの日にか 帰らん
 山は 青き 故郷
 水は 清き 故郷

朧月夜(おぼろづきよ):高野辰之作詞・岡野貞一作曲
菜の花畑に   入日薄れ
見わたす山の端(は)
        霞(かすみ)ふかし
春風そよ吹く  空を見れば
夕日かかりて  匂い淡し
霞たなびく春の夕暮れの一面黄色に染まった菜の花畑に月が出て、次第に夜に移りゆく、北信濃の春の田園風景を見事に描写している。 春らしいぼーっと霞んだ柔らかい自然の情景が浮かんでくる。
鐘の音はの鐘は、高野辰之博士の故郷にある真宝寺の鐘という。 菜は野沢菜。野沢菜漬は、信州の代表的冬の味覚である。 博士が小学校の教師時代、下宿していた飯山市は、戦前菜種の特産地であった。 今でも菜の花の種類こそ違うが、遅い春を迎える四月頃、奥信濃の千曲川ぞいには一面黄色い花に彩られる。 博士が晩年を過ごした野沢温泉村には、この歌の歌碑と記念館「おぼろ月夜の館」がある。
里わの火影も 森の色も
田中の小径(こみち)を
        たどる人も
蛙の鳴くねも  鐘の音も
さながら霞める 朧月夜

春の小川:高野辰之作詞・岡野貞一作曲
春の小川は さらさら流る
岸のすみれや れんげん花に
すがたやさしく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやき如く
田園の春の風景を想像させるこの歌は、辰之少年の幼年時代を過ごした郷里の小川ではなく、 東京の真ん中代々木を流れていた河骨川(こうほねがわ)とその付近のイメージをもとに作られたのだという。 川は東京オリンピック(1939)の選手村が代々木に出来たとき、暗渠となり、下水道の一部になってしまい、昔の面影はなにもない。
この歌は大正1年(1912)「尋常小学唱歌(四)」に発表された。小川が代々木の河骨川だという話は、藤田桂世著「大正・渋谷道玄坂」(青蛙房) にある。当時博士の東京でのお住まいは今の東京都渋谷区三丁目三番地二号で、住居跡を示す木碑がたっている。またこの歌詞は、昭和17年(1942)三年の教材に移されたとき、この学年は未だ文語体を習っていないとの理由で一部手直しされた。例えば一番は”春の小川はさらさらながる、岸のすみれやれんげの花に、すがたやさしくいろうつくしく、さいているねと、ささやきながら”であった。
春の小川は さらさら行くよ
蝦やめだかや 小鮒の群に
今日も一日 ひなたでおよぎ
遊べ遊べと ささやく如く
春の小川は さらさら行くよ
唄の上手よ 愛しき子供
声をそろえて 小川の歌を
歌え歌えと ささやく如く

春が来た:高野辰之作詞・岡野貞一作曲
春が来た 春が来た どこに来た
山に来た 里に来た 野にも来た
花が咲く 花が咲く どこで咲く
山に咲く 里に咲く 野にも咲く
鳥が鳴く 鳥が鳴く どこで鳴く
山で鳴く 里で咲く 野でも鳴く
春の来た喜びを明るく軽快に表現している。博士の故郷奥信濃の豊田村は、とりわけ冬が厳しく春の訪れも待ち遠しい。春が来たときのうれしい喜びが伝わってくる。この歌は明治43年(1910)刊行の「尋常小学読本唱歌」に発表。

紅葉(もみじ):高野辰之作詞・岡野貞一作曲
秋の夕日に照る山紅葉
濃いも薄いも数ある中で
松を色どる 楓(かえで)や 蔦(つた)も
山のふもとの裾模様(すそもよう)
渓(たに)の流れに散り浮く紅葉
波にゆられて離れて寄って
赤や黄色の色様々に
水の上にも踊る錦
この詩は、博士が郷里と東京を往復するのに使った信越本線熊ノ平駅付近から風景を詠んだといわれている。熊ノ平駅は、横川と軽井沢の中間、山とトンネルに挟まれた駅で、今はない。当時は急勾配をアプト式鉄道でゆっくり走っていたから、周囲の景色もゆっくり堪能できたのではなかろうか。明治44年(1911)刊行「尋常小学校唱歌(二)」に発表。
紅葉は、気温が7℃以下になると色つき始め、しかも日中と夜の温度差が激しいほど美しい色を発するという。紅葉が最も美しいのは、落葉前のほんの一瞬である。信州の山は戦後落葉松の植林が盛んに行われたため唐松林が多い。黄金色に一斉に色つく唐松林も美しいが、赤・黄色など様々な色が緑と混在する「中房渓谷」・「春日渓谷」など山奥の雑木林の紅葉は美しい。晴天に恵まれると一段と色が映え更に美しくなる。そんな場所が信州には、幾つかある。また高低差により長く楽しめるのも信州の紅葉の特徴である。

・参照:こどものための MIDI DATA COLLECTION data by らーおや
・参考:「日本のうた ふるさとのうた」全国実行委員会編
    「NHK日本のうた ふるさとのうた100曲」:講談社・1991刊
・参照:豊田村ホームページ
   :野沢温泉村ホームページおぼろ月夜の館斑山文庫
・制作:99/01/24・更新:01/02/12・04/05/11・05/06/24

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