![]() 古のしなのみち 東山道 ![]() |
東山道(あずまやまみち)は、古代の律令のよる官道の一つで、。延喜式に依れば近江国勢多駅を起点とし、美濃国・信濃国・上野国・下野国を経て陸奥国に通じていた。信濃国における経路は、美濃国坂本駅から信濃坂(神坂峠)を越え阿智駅に下り、伊那郡を下る天竜川沿いを遡上し、育良・賢錐・宮田・深沢の各駅を経て善知鳥峠を越えて筑摩郡に入り、覚志駅を経て、錦織駅で本道は東に方向を転じ、保福寺峠を越えて小県郷浦野駅に出て、亘理駅で千曲川を渡り、佐久郡清水駅・長倉駅を経て、碓氷坂を過ぎ、上野国坂本駅へ至る路であった.なお筑摩郡錦織駅から分かれて北へ向かい、更級郡麻績駅を経て犀川を亘理駅で渡り、多古・沼辺駅を経て越後国に至る支路があった。この支路については信濃坂が難路であったので、和銅六年(713)、駅路でない直路の吉蘇路(きそじ)を通ぜしめて覚志駅で伊那から遡上してきた道と結んでいる. この駅路東山道の原初の道は、大和国から伊勢・尾張・美濃の各国を経て信濃坂を越え、天竜川沿いに北上し、宮田駅を過ぎてから北東へ向かい、杖突峠を越えて諏訪郡へ出、更に東北進して雨境峠を越えて佐久郡に下り、佐久平を北東に進んで碓氷坂に至ったと推定されている.筑摩郡を経由する道は大宝二年(702)に開通。東山道の最大の難所は、南の信濃坂峠。北の碓氷坂及びその中間にある現保福寺峠であったが、東海道には幾つかの大河が存在していることもあって、大和朝廷における陸奥・出羽の開発に当たって次第に重要路線となり、奈良時代の中頃までその主要道路とされていた. ちはやふる神の御坂に幣まつり斎(いほ)ふ命は父母のため 信濃坂にて 万葉集巻二○防人の歌 信濃路は今の墾道刈株(はりみちかりばね)に足踏ましむな履(くつ)はけ我が夫(せ) 保福寺峠で 万葉集巻一四東歌 ひなぐもり碓氷の坂を越えしだに妹が恋しく忘らえぬかも 碓氷峠にて 〃 平凡社日本地名体系巻二○から引用
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駅・峠 |
場所 |
概要 |
備考 |
信濃坂 |
しなのさか:濃信国境神坂峠:かつて東山道最大の難所として知られ,頂上には古代祭祀遺跡,近くには箒木の伝説の残る園原がある
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美濃国坂本駅から越えて信濃路へ | |
阿智 |
伊那郡 |
あち:下伊那郡阿智村駒場 |
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育良 |
いから:飯田市殿岡? |
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賢錐 |
かたぎり:上伊那郡中川村中村.旧片桐村:片桐郷七ヶ村の中心 |
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宮田 |
みやだ:上伊那郡宮田村 |
古東山道は、杖突峠を越えて諏訪へ | |
深沢 |
ふかさわ:上伊那郡箕輪町下古田? |
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善知鳥峠 |
うとうとうげ:松本平と伊那谷の境界をなす峠.表日本と裏日本の分水嶺をなす峠の一つ.標高889m.江戸時代中馬の道三州街道はこの峠を越えて中山道と合流した. |
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覚志 |
筑摩郡 |
かがし:松本市芳川村井町。平安時代から信濃国府が置かれた |
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錦織 |
にしごり:上水内郡四賀村(旧保福寺村)錦部:保福寺峠越えの重要な駅。江戸時代保福寺街道保福寺宿。地名は宿の東端にある保福寺に由来する。松本藩の番所保福寺番所が置かれた.(99.03.13歴訪) |
越後国へ通ずる東山道支道分岐点(次の駅は麻績) | |
保福寺峠 |
ほふくじとうげ:筑摩郡と小県郡を繋ぐ重要な峠.保福寺山の北の尾根にあり標高1345m・東山道の難所の一つで険しい道であった。明治になってイギリスの登山家ウエストンが、この峠で北アルプス連峰を望み、その荘厳さに感動し「日本アルプス」と命名した場所.(99.06.12歴訪) |
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浦野 |
小県郡 |
うらの:今の小県郡青木村:隣接する上田市に浦野の地名が残る.駅の場所は特定されていないが、この辺り.東山道の難所保福寺峠越えの重要な駅.国宝大法寺三重塔がある。古くから開けた沓掛温泉・田沢温泉がある |
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亘理 |
わたり:上田市西部諏訪辺集落の近く(対岸は中之条)。千曲川を渡る重要な駅 |
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清水 |
佐久郡 |
しみず:小諸市西部 |
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長倉 |
ながくら:北佐久郡軽井沢町・御代田町あたり |
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碓氷坂 |
うすいさか:標高958m:上信国境.東麓の坂本駅との標高差458mの交通の難所。日本書紀に、日本武尊が東国から信濃に入る時〈碓日坂(うすひのさか)〉にいたり,〈碓日嶺〉に登って弟橘媛をしのび,〈吾嬬(あづま)はや〉といったとある.
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上野国横川(松井田町)へ |
駅・峠 |
場所 |
概要 |
備考 |
麻績 |
更級郡 |
おみ:上水内郡麻績村:錦織駅から分岐して越後に至る支路の駅.当時の道筋は、立峠の西の古峠を越え本城村の地籍へ出、坂北村を経て麻績駅に至り、坂井村の冠着トンネルの上の古峠(964m)を越えて更級郡更級村の弥勒(現御麓)に下っていて、今でも古い道筋を残している.麻績駅の跡は、麻績神明宮西の耕地.麻績は江戸時代北国西街道の宿場 |
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亘理 |
水内郡 |
わたり:犀川を渡る重要な駅.丹波島・戸部・塩崎など諸説あり |
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多古<br> | たこ:長野市三才から田子周辺 |
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沼辺 |
ぬのへ:上水内郡信濃町野尻または古間 |
越後国へ |
駅・峠 |
場所 |
概要 |
備考 |
杖突峠 |
つえつきとうげ:諏訪郡と伊那郡の境をなす峠.標高1247b.諏訪からは急坂.諏訪谷を見下ろす展望は抜群 |
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山浦 |
諏訪郡 |
現茅野市 |
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雨境峠 |
あまざかいとうげ:蓼科山西北麓、白樺高原にある.諏訪山浦地方(現茅野市)と佐久川西地方(現望月町・浅科村・立科町・北御牧村)を結ぶ重要な峠.戦国時代諏訪から佐久へ入るのにも使われた峠 |
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春日 |
佐久郡 |
かすが:現北佐久郡望月町春日 |
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下県 |
佐久郡 |
しもがた:現佐久市大字下県(旧下県村)。千曲川を渡り |
長倉へ |
・参考文献:日本歴史地名大系 第20巻 平凡社 ISBN4-58-249020-4 ・制作:98/07/05・更新:98/07/25・99/03/27・01/02/07 Copyright © 2000 Shunji Mori All rights reserved. ![]() |