「北穂高岳南峰」1957 足立源一郎
足立 源一郎
あだち げんいちろう
1889-1973

画家として、また登山家としてその足跡は国内はじめヨーロッパに及び、山岳作家として定評久しい。
大阪船場に生まれ、京都市立絵画工芸専門学校(現京都市立芸大)に学び、後、関西芸術院で浅野忠に師事。大正時代二度にわたり延べ七年間渡欧、画業の基礎をパリで固めた。
帰国後、日本芸術院同人に推挙される。小杉未醒、岸田劉生、木村荘八らと春風会を、つづいて石井鶴三らと日本山岳画協会を創立。山本鼎の農民美術運動に協力する。
「ドウミエ」「クロード・モネを訪う」などの翻訳、「山に描く」「ヴァン・ゴッホ」など名著が多く、近代美術紹介の啓蒙期の文筆家としても先駆的な業績を残している。
渡欧時代ヨーロッパアルプスを、国内にあっては一年のうち大半を北アルプスで過ごし、槍ヶ岳、穂高連峰を中心に「北穂高岳南峰」「滝谷ドームの北壁」など多くの名作を残した。
その製作態度はダブレ・ナチュール(現場写生)に徹し、岩壁にザイルにぶらさがってスケッチするなど、数々のエピソードが多い。 71年5月、上高地のウェストン祭の日に長屏山に登り、雪中から穂高岳に別れを告げた。自力による最後の登山となった。73年春、死期の迫ったのを察してか「好きな山と山の絵を描くのに専念できた愉しい生涯でした・・・・」という最後の手紙を認め、最終作となった「春の穂高岳」を仕上げて、54年の生涯を閉じた。

・絵画:「北穂高岳南峰」1957 足立源一郎
・出典:安曇野山岳美術館のパンフレットから

・制作:97/11/18
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