小野神社と矢彦神社は、 旧三州街道(国道153号)沿い、塩尻市と辰野町の境に並んである。辰野町側が矢彦神社、塩尻市側が小野神社である。両社域36000平方米の森には、杉・檜・サワラ・モミなどの針葉樹、欅・栗・楓・ミズナラ・コブシ・銀杏などの針葉樹の混合林。草木あわせて150種。古代からの天然林が残っている。共に信濃の国二之宮・上伊那54ヶ村の総鎮守として由緒ある神社である。 |
名称 |
小野神社(おのじんじゃ) |
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主祭神 |
建御名方命 | |
由緒 |
建御名方命は科野(しなの)に降臨し、しばらくこの地にとどまり諏訪に移った。その旧跡に崇仁天皇の時祭神を勧進奉斎す。信濃国二の宮として領主・郷民に村崇され、社殿の造営や数々の寄進があった。旧県社 | |
祭礼 | 例祭:9月1日(旧8月1日) 式年御柱大祭:兎・酉年の7年毎の祭り・諏訪大社御柱祭 の1年後治承4年(1180)木曽義仲が戦勝祈願して出陣。倶利伽藍峠の戦いで勝利したお礼に社殿再建。牛松明に点火し遷宮式をしたこと事から始まる 重要な神事。明治以前は藩主が御柱を奉納し、松本平52ヵ村があげて奉仕した。 見立て(前年12月)・綱より・元伐り・山出し・里引き・建て御柱(5月5日)・5ヶ月にわたって繰り広げられる。 八朔祭(田面祭)・御田作祭(ねんじり棒:1月6日夜:県無形文化財)・御射山祭 | |
名跡 | 梵鐘:永禄7年作・武田勝頼寄進 池泉回遊式庭園(大正時代・庭師・萩原苔山氏作) | |
場所 | 長野県塩尻市北小野175 旧三州街道小野宿(国道153号沿い) | |
照会 | 電話:0266-46-2064 | |
交通 | 鉄道:中央線小野駅下車北500米 | |
備考 |
名称 | 矢彦神社(やひこじんじゃ) |
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主祭神 |
正殿 :大己貴命 ・事代主命 副殿 :建御名方命・八坂刀賣命 南殿 :天香語山命・熟穂屋姫命 北殿 :神倭磐余彦天皇・誉田別天皇 明治宮:明治天皇 | |
由緒 |
遠い神代の昔、大己貴命(おおきむちのみこと)の国造りの神業にいそしまれた折り、御子の事代主命(ことしろぬしのみこと)と建御名方命(たてみなかたのみこと)をしたがえて、この地にお寄りになったと伝えられている。古くから皇室の崇敬が厚い。 欽明天皇の御代に、大己貴命と事代主命を正殿に、建御名方命と八坂刀賣命を副殿に祀り、例祭日を毎年八朔(旧八月つ いたち)と定めたのが始まり。 天武天皇の白鳳二年(674)勅使を下向し、新宮を造営し、正遷宮祭と御柱祭が七年ごとの式年祭と定められた 安徳天皇の御代、木曽義仲が宮材を木曽山林から伐り出し、社殿を造営した。以後七百年にわたり宮材は木曽山林から出材された。 以後鎌倉から徳川時代に至るまで、武田信玄・勝頼はじめ徳川幕府の崇敬厚く再三社殿が造営された。特に慶安二年徳川 家光より高10石付属山林緒役免除の朱印状を拝領している。明治時代社格が郷社となり、明治27年(1892)明治遥拝殿を創建した。明治33年(1900)社格が県社に昇格した。 | |
祭礼 | 例大祭 :九月朔日(ついたち)現在は十月第一日曜日 式年御柱大祭:毎卯酉年五月 | |
名跡 | 県宝:神楽殿・勅使殿・拝殿・回廊・社殿 神楽殿の彫刻は、名工・二代目立川和四郎富昌の天保13年 (1842)の作 | |
場所 | 長野県上伊那郡辰野町大字小野字八彦沢 国道153号沿い | |
照会 | 電話:0266-46-2064 | |
交通 | 中央線小野駅北500米 | |
備考 |