国宝松本城

松本城天守閣
長野県松本市にある。 この地は、平安時代信濃国府の置かれていたところ。中世には信濃国守護小笠原氏本拠地.小笠原氏の治める頃は深志城、長篠の戦以降は松本城と称した。天正18年(1598)石川数正が入って8万国を領した。現在の松本城は、この数正親子が、築城し、現存する天守一画の建築のうち,大天守(6階),渡櫓(わたりやぐら)(2階),乾(いぬい)小天守(3階)は関ヶ原の戦(1600)前後には完成していたとみられ,現存天守の中では最も古い。国宝に指定されている。ゆるい勾配の石垣上にたち,外壁は黒漆塗の下見板と白漆喰(しつくい)壁で,窓はなく,連子(れんじ)格子に突上げの板戸という構成も古風である。建築当初とくらべると,最上階が拡大されたり,各階屋根にのる千鳥破風(はふ),唐破風の配置が変わっている。大天守の東につづく東南付櫓と,朱塗勾欄をめぐらす御殿風の月見櫓は,寛永年間(1624‐44)ころの増築になる. 松本城として完成された姿は、平城で、本丸を中心に三重の水堀(内堀、外堀、総堀)をめぐらし、その外に町屋と寺社地帯を置いています。 城内(総堀の内)は面積約39.5万平方メートル(約12万坪)あり、各曲輪(本丸、二の丸、三の丸)ともほぼ方形で南正面に大手門を開き、城の防御力を強化し、城主の権威を象徴する門、塀、櫓、天守、御殿などの建造物を要所に規格正しく配してある。
明治になって城全体が売却され、解体の危機に貧したが、幸い天守は、街の識者の人力により破棄をまぬがれたが、その後荒廃に任せれたが、明治の大修理・昭和の解体修理(昭和30年完了)を経て、現在の天守の姿がある。 。また、54年から60年にかけて二の丸御殿跡の発掘調査を行い、公園として整備し御殿の部屋割を復原するほか、平成2年に黒門枡形の高麗門と袖塀を復原し、同4年には太鼓門枡形の石垣を積替え、同11年三月史跡松本城太鼓門枡形復元事が完成した。
城主は、数正以後、小笠原氏・戸田氏・松平氏・堀田氏・水野氏と変わり,寛永期に戸田氏が志摩国鳥羽から来て6万石で在封し、9代続いて明治維新を迎えた。

・照会:松本市観光温泉課:0263-34-3000

・制作:98/08/30
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