信州のうた:千曲川旅情のうた:島崎藤村作詞


島崎藤村【しまざきとうそん】(M5/1872‐S18/1943):長野県山口村(馬籠)出身。本名春樹。生家は、中山道馬籠宿の本陣、庄屋・問屋も兼ねた。上京して明治24年(1891)明治学院(現明治学院大学)卒業。仙台の東北学院教師時代、詩集「若菜集」を出版。我が国の近代叙情詩の創始者として名声を得た。明治学院時代の恩師木村熊二に招かれ、明治22年(1889)信濃の小諸義塾に赴任した。小諸時代に作家に転じ「破壊」によってその地位を確立した。「春」で自伝的小説へと向かい、田山花袋らと共に自然主義文学の方向を決定した。晩年の長編「夜明け前」では、幕末・明治維新を生きた父島崎正樹の生涯を描いた大作である。 ”木曽路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。”で始まる冒頭の記述は、当時の木曽路の有様を生き生きと表現している。夜明け前の原稿は、生家馬籠本陣跡に建てられた藤村記念館に展示されている。 この「千曲川旅情のうた」は、藤村の代表作として親しまれてきた詩でであり、小諸時代の藤村が、千曲川の旅情を詩情豊かに歌い上げたものである。広田瀧太郎がつけた曲が有名である。小諸城趾「懐古園」に、この歌の歌碑と、「藤村記念館」があり、小諸時代の藤村を偲ぶことが出来る。
千曲川旅情のうた:島崎藤村詩・弘田瀧太郎作曲
小諸なる古城のほとり
  雲白く遊子(ゆうし)悲しむ
緑なすハコベは萌えず
  若草の籍くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡辺
  日に溶けて淡雪流る
小諸なる古城とは、今の「懐古園」のこと。城の水の手展望台に立つと、城下を流れる千曲川が見渡せる。この城趾にこの歌の歌碑が建っている
あたたかき光はあれど
  野に満つる香りも知らず
浅くのみ春は霞みて
  麦の色はつかに青し
旅人の群はいつか
  畠中の道を急ぎぬ

暮れ行けば浅間も見えず
  歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
  岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
  草枕しばし慰む
岸近き宿とは、小諸城趾懐古園の下にある中棚荘のこと。藤村の小諸時代は、鉱泉であったが、その後発掘に成功して38度の弱アルカリ性単純泉を少し暖めて使っている。木製の内湯には、季節にリンゴを浮かべるなどの客をもてなす工夫がある。

・参照:小諸散策・藤村詩集(島崎藤村 新潮文庫)
・制作:99/01/24

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