信濃の民謡:木曽節 きそぶし

長野県木曾地方の盆踊歌。 木曽川の流れの音と相和して、この木曽路のどこか明るい中に桧山のうちに住み着いている、山住まいの男の寂しさがしみ通っているような歌の調べ。素朴な和やかな手振りで踊るその盆踊り。まさに木曽路の芸能の代表というに相応しい。 古文書「木曽考」によると、永享年間(1428-鎌倉時代)木曽家12代目木曽信道が、福島の地に城を築き、興禅寺を復旧し木曽義仲の菩提寺とした。このとき倶利伽羅峠の戦勝を記念した霊祭が行われ、風流陣の踊りがなされたとある。このときの武者踊りが「木曽踊」の起こりと考えられている。その後民衆に伝わり盆踊りとして根を下ろした。 大正4年(1915),木曾福島町で木曾踊の復活をはかり,「なかのりさん節」を元歌に,現在の「木曾節」やその踊りを作った。当時の町長伊藤淳が先頭にたって「木曾節」を宣伝し,その充実,発展につとめた結果,人気が高まり、一般に知られるようになった。現在も木曾福島の町では,木曾踊が踊りつづけられている。全国一踊りやすいが、微妙な節回しで歌うのが全国一難しいといわれる正調木曽節は、木曽踊保存会が伝えてきたが、老齢化が進んでいて後継者難であるという。(木曽節全詞もある)
歌詞 解説
木曽のナー 中乗りさん
木曽の御岳 ナンジャラホーイ
夏でも寒い ヨイヨイヨイ
  ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ

 袷よナー 中乗りさん
 あわしょやりたや ナンジャラホーイ
 足袋よそえて ヨイヨイヨイ
  ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ
御嶽(おんたけ)」は,木曾川筋を中心に近辺一円の信仰の中心である霊峰。「なかのりさん」は,三説あり、すなわち@馬に乗った人:その昔馬に「三宝荒神」という鞍を置き損の中央に乗った人を真ん中に乗るという意味で「中乗りさん」と呼んだA御岳教の中座:木曽御嶽山の御岳教にまつわる神のお告げを信者に伝える「中座」と呼ばれた人のことB木材を木曽川で運搬した際、組んだ小さな筏の真ん中に乗った人のこと。先頭を「舳(へ)乗り」・後ろを「艫(とも)乗り」真ん中を「中乗り」といった。一般的な通説はBの木曽川の筏師のことを指す。ナンジャラホイは、「なんじゃやらホイ」の掛け声のつまったものだという説と、「ナムチャラホイ」つまり梵語で盆踊りの意味だという説がある
二番は、一番の”夏でもお寒い”を受けて木曽地方の寒さを表現?。
心ナー 中乗りさん
心細いよ ナンジャラホーイ
木曽路の旅は ヨイヨイヨイ
  ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイイ

 笠にナー 中乗りさん
 笠に木の葉が ナンジャラホーイ
 舞かかるよ ヨイヨイヨイ
  ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ
中山道馬籠宿出身の明治の文豪島崎藤村の大作「夜明け前」の冒頭の記述 ”木曽路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。”は、当時の木曽路の有様をリアルに伝えている。
鳥井峠(1197b)は、碓氷峠(1180b)・和田峠(1531b)と並ぶ中山道の峠越えの難所。桟(かけはし)は、崖に挟まれた渓谷に橋を架けた。上松にある。太田の渡しは、中山道太田宿(今の岐阜県美濃加茂市太田にある)の木曽川の渡し。川越の難所。
木曽の桟太田の渡し 鳥井峠が無けりゃ良い
木曽のナー 中乗りさん
木曽の名木 ナンジャラホーイ
ヒノキにサワラ  ヨイヨイヨイ
  ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ

 ネズにー 中乗りさん
 ネズやにスヒに ナンジャラホーイ
 コウヤマキ ヨイヨイヨイ
  ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ
いわゆる木曽の五木。桧を筆頭に椹()さわら・高野槙・翌檜(あすなろ)及びねずこの五種をいうが、はじめの四種は、宝永五年(1708)に、ねずこは、享保十三年(1728)にそれぞれ停止木(ちょうじぎ)とされ、木曽の全ての山で『生一本首一つ』の言葉のように伐採厳禁であった。
木曽の名物 お六の櫛は
 解きし前髪 止めにさす
ミネバリ・ツゲなど使った梳櫛(すきぐし)は、妻籠宿のお六という婦人が工夫して作ったところから「お六櫛」と名付けられた。木祖村薮原が主産地となり現在に至っている。
以下は、木曽節全歌詞へ

・参考:木曽節に関する資料を「木曽福島役場」から送って頂いて、参考にさせて頂いた。ご厚意に感謝します。
   :NHK長野放送局編「信濃風土記」・塚田昌明著「長野県の歴史」山川出版社刊
・制作:99/01/09・更新:99/02/11

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