信州塩の道


塩は、生き物の生存に欠かせない貴重品である.海のない信州では、古来その入手は、苦労ががつきまとった。戦国時代、越後の上杉謙信が、敵(甲斐の武田信玄)に塩を送ったと伝えられる話は著名である。江戸時代、瀬戸内の塩をはじめ各地の塩田で採れた塩が信州に運び込まれた。 塩の信州への搬入路は、およそ五つあり、信州の奥地まで運ばれた.日本海方面からは、北国街道高田・千国街道糸魚川からである.太平洋方面からは、川が搬入の運河として使われ、利根川上流の倉賀野・富士川上流の鰍沢が、荷揚げの港であった.これらの塩は、牛を使って運ばれた.牛は、歩みはのろいが、力が強く、野宿も出来、道草を食べたなど利点が多かったためである.牛の背に二俵積み、一人が五島ないし六頭を連れていたケースがあった.陸船と呼ばれた。中馬の道三州街道では、三河の足助に集めれれた各地の塩が、馬で運ばれた.馬での運搬は、古くから駅馬の制度があり、宿場毎に馬の背を替えて荷物が運ばれたが、中馬は、通しで使われた. 信州にも塩の産地があった。南アルプス山麓にある大鹿村がそれである.わずかに採れる岩塩だが、明治の初期まで採塩が行われていたという

発荷地(From)
塩の道(to)
概要
備考
直江津港
北信
直江津で荷揚げされた瀬戸内塩が、高田宿の問屋に荷替えして、北国街道を通じて上田まで運んぶルートである。途中の分岐点新井宿から飯山街道で奥信濃へ、柏原から戸隠鬼無里へ、牟礼から飯山街道・谷街道小布施・大笹街道仁礼をへて上野国へ、丹波島(篠ノ井)から北国西街道を通じて松本までそれぞれ運ばれた。

糸魚川
松本平
糸魚川から塩の道で名高い千国街道を通るルートである。大町が荷駄の集散地であった。松本を経て・中山道塩尻宿まで運ばれた.大町市の塩の道博物館で当時を偲ぶ事が出来る.

倉賀野
東信
利根川を船で運び上州倉賀野で荷揚げされた塩を運ぶルート.碓氷峠を越え中山道を通って下諏訪上諏訪北国街道上田を経て保福寺街道松本へ、和美峠・内山峠・十国峠を越えて佐久路へそれぞれ運ばれた。

鰍沢口
諏訪・伊那谷北部
駿河清水港・蒲原・岩淵と運ばれ、俵直しされた塩俵は、船に乗せられ富士川を上り甲州鰍沢で荷揚げされ、甲州街道杖突街道を運んだルートである.高遠の先遠山郷和田へも運ばれた

足助
伊那谷南部
三河塩や瀬戸内塩など数多くの種類の塩が、三河足助の問屋に集まり、足助から中場の道三州街道を伊那路へ運んだルート


・参考文献:宮本常一著「塩の道」講談社学術文庫 ISBN4-06-158677-7
・制作:98/07/12

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