保福寺街道(松本街道)


保福寺街道は、古の律令の時代の官道として大宝二年(702)に開通した東山道である。松本(覚志)から、信濃路の難路の一つ保福路峠を越え、上田に通ずる道である。峠越えのために錦織駅(今の四賀村錦部・江戸時代の保福寺宿)が置かれた。古くは、上田に国府と国分寺が置かれ(平安時代の国府は松本).松本(中信)と上田(東信)を結ぶ最短路である.なお保福寺峠はウェストンの日本アルプス命名の場所として著名である。保福寺街道(別名松本街道)は、今の国道143号線であるが、保福寺峠を越えるルートは青木峠を越えるルートにバイパスされている。東信と中信(松本)を結ぶルートは、別に、東部町・丸子町と松本を三才山トンネルを挟んで走る国道254号線が盛んに使われている.

宿場・峠:岡田(北国西街道)・稲倉・稲倉峠・保福寺保福寺峠・奈良本・青木上田(北国街道)     ・刈谷原(北国西街道)・青木峠・・・・・・・・・・・・・・・・↑           市町村 :松本市四賀村青木村武石村上田市・・東部町丸子町             
宿場峠
場所
高速道
概要
温泉などの案内
照会先・分岐など
岡田
松本市
松本
松本市
北国西街道岡田宿参照

稲倉





稲倉峠



保福寺
四賀村

上水内郡四賀村(旧保福寺村)錦部:古の官道「東山道」の錦織(にしごり)駅が置かれた所。保福寺峠越えの重要な駅であった。地名は宿の東端にある曹洞宗保福寺に由来する。江戸時代保福寺街道保福寺宿。松本藩の番所保福寺番所が置かれた
北国西街道(善光寺街道)刈谷原・会田宿(現四賀村)参照

保福寺峠
標高:1345m・明治24年8月、ウエストンが最初に北アルプスのパノラマの感動に出会った峠, 古の東山道の峠.松本・上田を結ぶ最短路
沓掛温泉から峠まで約13`、車で25分。峠から四賀村保福寺を経て国道143号まで約12`40分

奈良本
青木
青木村
麻績
小県郡青木村:上田市の南西に位置する。村域の8 割が山林・原野で占められ,東部を北東流する浦野川沿いの段丘を中心に集落が散在する。古代には《延喜式》に記された東山道の浦野駅の所在 地で,塩原牧も置かれた。
天台宗の名刹(めいさつ)大法寺三重塔は国宝;石仏の並ぶ修那羅峠; 初夏を彩るアイリス祭り田沢温泉沓掛温泉
青木村総務課:
   0268-49-3131
上田
上田市
上田・菅平
上田市
北国街道上田宿参照



宿場峠
場所
高速道
概要
温泉などの案内
照会先・分岐など
刈矢原
四賀村
豊科
西筑摩郡四賀村
北国西街道刈矢原宿参照

青木峠


三才山トンネル 三才山(標高1528m)は、中信濃松本と東信濃小県の境、美ヶ原高原の北、女鳥羽川の上流にある。山越えは急峻な道であったが、松本から江戸への至近距離にあったので、荷駄の運搬に多少は利用されたらしい。 昭和51年(1976)開通して松本と上田が至近距離になった.


保福寺峠の感動・日本アルプスの誕生:ウエストン
−−−私達は峠の頂上を歩いてやって、車夫に骨おりを軽くし、又同時に乗手である私達の苦痛を軽くしようと決心した。その険しい径は殆ど木のない丘陵をよじ登った。この登りは禿げた草だけの斜面を迂回して行くのだが、その斜面は火山岩燼からなり、午後の熱い光をまともに受けていた。午後六時、私達は海抜四千五百呎(フィート)の山頂に達した。それからその山陵の割れ目の左側にある円丘に立つと、私達の心引かれていたあの大連峰の全景が突然眺められた。
 私達は思いがけなくその眺望に接したので、その壮麗さはただ驚嘆するばかりだった。その連峰の中部と南部全体は、足下の広々とした松本平原とその彼方の淋しい飛騨の国の間に、一大障壁のように西方の前面に聳えていた。高さ一万呎乃至それ以上の雪縞のある山陵や崇高な峯々が、落日に映えたオパール色の空を背景に、紫の輪廓も鮮やかに聳えている。日本のマッターホルンである槍ヶ岳や、ペニンアルプスの女王ワイスホーンの縮図を想わせる優美な三角形の常念岳、それより遙か南方に、どっしりとした双峰の鞍の山(乗鞍岳)が聳え、それぞれ特徴のある横顔(プロフィール)を示している。私達がこの雄麗なパノラマに目を楽しませている間に、午後の日は間もなく暮れて、夜の幕(とばり)に包まれた。−−−(岡村精一訳『登山と探検』より)

・参考文献:宮本常一著「塩の道」講談社学術文庫 ISBN4-06-158677-7
     :日本歴史地名大系 第20巻 平凡社 ISBN4-58-249020-4
・更新:98/06/27

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