信濃の城趾:龍岡城五稜郭


龍岡城址の石垣
龍岡城五稜郭は、函館と共に我が国で二つ残る星形稜堡の洋式城郭で貴重な遺構. 幕末、幕府の老中・陸軍総裁など幕府の要職にあった龍岡藩主松平乗謨(のりかた)が築城した日本最後の城. 当時の遺構は、堀と石垣、屋敷の台所などわずか.城址は小学校の敷地として利用されている.
大給松平氏の領地は、本領三河四千石と信州領一万二千石. 築城のきっかけは、文久三年(1863)正月、藩主乗謨が、大藩頭(おおばんがしら)に登用された折り、本領の手狭さから、信濃領に本領を移し、併せて新陣屋五稜郭の建設を幕府に申請し許可されたことに依る. 翌元治元年(1864)三月に着工、慶応三年(1866)四月に完成.規模は函館の約5分の1であった. 城内の建造物は、大給松平氏が城を持てない「陣屋格」であったため、天守などの防御施設はなく、 大手門と通用門、藩主の御殿・藩士の小屋・藩屋・太鼓桜・火薬庫の他、歴代藩主三名を祀った三社様・稲荷社などがあった. が、ご多分に漏れず、明治四年、明治政府の藩籍奉還・稜郭取り壊し令により、龍岡藩(田野口藩を幕末直前に改名)五稜郭は地所、石垣はそのままとし、建物は入札払い下げとなり、残りは取り壊されてしまった.
残された石垣を見ると、大手橋付近の重ね積み(布積み)・砲台下の石の配列を菱形にした「亀甲積み」など、巧みに石を配し優れた造形美を示している
最後の藩主乗謨は、明治時代、恒と改名し再出発.元老院議官であったとき、佐野常民(九州佐賀藩出身)と共鳴して日本の「日本赤十字社(当時博愛社)」の設立に貢献した.因みに日本赤十字社の創立記念日は明治10年5月1日.
・場所:長野県南佐久郡臼田町
・交通:JR小海線臼田駅から徒歩
・照会:臼田町役場
・龍岡城五稜郭の詳細解説:http://www.avis.ne.jp/~usuda/tatsuoka.html

・制作:99/07/13

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