信濃の城趾:松代城(海津城)


松代城は、最初武田信玄が築いた海津城である。城趾は天守閣の遺跡を残すのみで、長野電鉄松代駅の近くにある。只今工事中で、整備されると、城門・堀の水などが復活するらしい。入り口の前の案内板によると

◆築城と名称:武田信玄が上杉謙信の信濃への侵攻に備え、北信の最前線根拠地として築いた城で、その築城年代は明かでないが、永禄三年(1560)頃までに完成したと推定される。

永禄四年九月の川中島激戦の際は、武田信玄の本陣となり、妻女山に陣営を張る上杉軍に相対して、ここで軍を二手に分け、一手は妻女山攻撃隊となり一手の軍勢は武田信玄自ら率いて八幡原の直戦地へ進出した根拠地である。

築城当時は土塁であったが、慶長三年(1598)城主であった田丸直昌の時に石塁にしたものといわれる。もとの総城は、松代町大部分を囲むほどの壮大なもので、本丸のほか二の丸・三の丸。花の丸等があったが、現在は主として本丸の跡をとどめているに過ぎない。

城の名称は、築城当時の地名を用いて海津城と呼ばれたが、その後二度変わりさらに正徳元年(1711)に「松代城」と改められている。

◆特徴:この城は、武田信玄が他の武将にさきがけた築いた大きな平城で、後世甲州流築城の範となった城である。

城の西側には、南から北へ流れた行く千曲川の大河があり、自然の恵みをまともに受けた築城となっている。 一方本丸の東方離れた城域内には、幾条もの水濠が掘られて神田川や関屋川の水が取り入れられていたのである。 また、城域を囲む東・南・北の三方に山並みをひかえ、この山々が地域を堅固に守っているような環境に置かれている。 本丸の石塁は、正方形で内法72.4b、高さ3.72bある。馬踏み1.81b、南北の中央に枡形があり、東北隅のも大枡形があった。自然の背景と、環境を巧みに取り入れて、活性化した点において、松代城は比類のない名城としてれが高い。

◆江戸時代,藩主は森長可・(上杉景勝)・田丸直昌・森忠政・松平忠輝・松平忠昌・酒井忠勝と変転したが,1622年(元和8)外様大名真田信之の松代入封によって固定化し,10万石の城下町として廃藩置県に至る。

昭和41年(1966)長野市に編入された松代の城下町は、かつての町並みがよく保存され,藩主が居住した真田邸跡,佐久間象山がつくった電信塔,藩校の文武学校など史跡や文化財も多い。市街地南方の皆神山付近には,第2次大戦末期に建設された大本営の地下壕があり,一部は気象庁の地震観測所として利用されている。
・照会:長野市観光課:0262-26-4911

・参考:松代城案内板
・制作:99/04/25

もどる