信濃の城趾:小諸城趾(懐古園)


小諸城は浅間山の南西麓,千曲川の断崖上にある。 小諸城の起源は、平家物語に登場する小室太郎光兼(木曽義仲の部将)のにさかのぼる(城址東館)、その後大井光忠が小室氏を押さえ鍋蓋城を構えたが、武田信玄の攻略により落城.そのご、この地を重要視した信玄が山本勘助と馬場信濃守信房に命じて作らせたのが現在の小諸城の原型. その後城主は、信長時代には、部将滝川一益・家康の部将松平源十郎康国が、豊臣時代には、仙石秀久が城主となって、二の丸・黒門・大手門を、子の忠政が三の門・足柄門を建て完成した.その後、城主は徳川・松平など六氏に代わり、天正18年(1590)仙石秀久5万石の入封になり十代続いた. 明治四年廃藩置県により城としての機能を終え、明治十三年本丸跡に神社(鹿島神社)を祀り、懐古園と呼ぶようになっ た.園内には、島崎藤村記念館・「千曲川旅情のうた」歌碑・小山敬三美術館・寅さん記念館・動物園などある。 桜の名所として日本の桜名所百選に選ばれた場所で、桜祭りが開かれ、市民で賑わう.

追手門は、小諸駅の北側にある。本丸から数えて四番目の門なので「四の門」ともいう。今の建物は慶長年間の再建で、国の重要文化財に指定されている。

懐古園の入り口にある門は、三の門で、 寄棟造りの二層の城門で、元和元年の創建.寛保二年の大洪水で流失.明和二年に再建. 両側に矢狭間・鉄砲狭間が付けられた戦闘式建物.正面の「懐古園」の額は、徳川家達の書.国指定重要文化財。
この城は全国にも珍しい、城下町より低い穴城.浅間山火山灰で出来ているため、水を持ちいず崩れやすい断崖が堅固な要塞となっている.
城趾は、四の門と三の門の間をしなの鉄道(旧JR信越線)が、横断している。

・照会:小諸市商工観光課:0267-22-1700

・参考:懐古園パンフレット
・制作:99/04/25

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