東山道・保福寺峠歴訪:99/06/12

保福寺峠を見る 入奈良本宿跡 東山道 保福寺峠の景色
古道東山道を往き・保福寺峠(1345b)を訪ねる
青木村から保福寺峠への道は、古代の官道東山道.江戸時代は保福寺街道と呼ばれた松本上田最短ルートとして 明治の鉄道が開通するまで盛んに利用された交通の要所.
峠へは、麓の沓掛温泉から車で片道20分.と案内のパンフレットにあった.四賀村からより余程近い. 峠までタクシーで行けるのかなと聞いてみると、青木村に一台しかないというタクシーが、行けるという. たまにそういう客がいるらしい. 早速行って貰う.

保福寺峠から四賀村方面への最後の宿は入奈良本.今でもその名残が残ってる.小さな部落があった.今でも人の住む住居である.
保福寺峠への道は、片側通行とは言え、舗装された立派な道路.両側に若葉の木立が覆う緑豊かな山の道を緩やかに登る. 行き交う車や人影の無い静かな道.東山道と書いた白い杭が所々に立っている.昔の東山道の跡を示す標識だ. 今の道路は、この古道東山道を巻いて通じている.昔の道は、今は殆ど歩く人がいないらしく、両側を木に覆われた細い道. 道にも草が生え、消えてしまいそうだ.昔の即席を確かめる昔の道東山道を歩く集いなどの企画ははやらないのだろうか?
万葉歌碑 ウェストン感激の碑
奈良時代防人がかりだされて歩いた道.都との往復の道.
”信濃路は今の墾道(ほりみち)刈株(かりばね)に”
   足踏ましむな履(くつ)著(は)けわが夫(せ)”
の万葉の歌が万葉仮名で彫られて、峠に立っていた.信濃国をほぼ直線的に通じていた古の 道東山道でこの保福寺峠越えは、最大の難所の一つであった.明治の時代彼の英国のウェストンがこの峠で北アルプス連山の 景観に接して感激したところだ.「日本アルプス」命名の地でもある. ウェストンが初めてこの峠でアルプスの景観に触れた感動した日は、明治24年(1891)8月2日. 今のこの地でその時期に果たして感激する景観に触れることが出来るだろうか.山が消えたわけではない. 当時より立木が増えているのは事実であるが、そのせいでもない.6月中旬のこの時期、山の景観は、霞の中に飲み込めれ その景観に触れることが出来なかった.空気が汚れているのだ.残念!!.ここでその景観に触れられるのは、空気の澄んだ初冬の良く晴れた朝がベストということらしい.又機会を作って来てみたい.

・保福寺峠の景観(四賀村のホームページから):晩秋の保福寺峠
・照会: 青木村総務課: 0268-49-3131
・制作:99/06/17

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