名称
象山神社(ぞうざんじんじゃ)

祭神
佐久間象山
由緒
幕末、松代藩出身の時代の先駆者「佐久間象山」を祀る。
大正二年象山殉職五十年祭を契機に、元大審院長横田秀雄博士の主唱で、神社建立の計画が進められ、地元をはじめ全市町村及び信濃教育会・全学校・全国関係者の協力によっ、昭和六年創立許可され、て昭和13年11月3日県社として創建された。
祭礼
例祭:四月11日・講社祭と大門踊:四月二六日
名跡

場所
〒381-12 長野市松代竹山町1502
交通
長野電鉄松代駅より徒歩700米
車:長野道長野インター左折
照会
電話:0262-78-3835
備考
98/11.14参拝:七五三で子供連れ家族が目立つ。赤く染まったもみじが本堂の屋根に懸かり美しい

佐久間象山略歴:
●松代藩士佐久間一学の長男として文化八年(1811)に生まれる。●六歳の時から父や、鎌原撞山・活文禅師などから学問・武術を習い、二十歳で詩文・経書・武術など免許される程の秀才であった。●二十三歳江戸佐藤一斉の塾に入門。渡辺華山・藤田東湖等と親交、三年で帰藩し、藩の子弟に経書や漢学を教える。この頃名を修理、号を象山(しょうざん)と改める●二十九歳江戸お玉ヶ池に象山書院を開き、多くの門弟を集める。藩主幸貫老中で海防掛の時、海防八策を幕府に上申する●三十六歳帰藩し、湯田中・沓野・佐野(志賀高原)の利用係として開発に努力、また大砲・電信機など製作作・実演をする。●四十一歳江戸木挽町に塾を開き、勝海舟・坂本龍馬・吉田松陰・橋本左内など維新の英才を輩出。ぺりー来航国論沸騰の際、軍議役として横浜警備に当たる。開国論を唱え横浜開港を主張する。松陰密航事件に連座して投獄される。●四十四歳から九年間松代に蟄居される。この間高杉晋作。久坂玄瑞・山形蔵・中岡慎太郎・石黒忠悳らが面会に訪れ、時世について激論し、象山の学識に感動している。●五十四歳元治元年(1864)幕府の命により京都に上る。将軍家成・一橋慶喜・。山階宮・中川宮に公武合体開国を説いて活躍中7月11日三条水屋町で尊壌派の凶刃に倒れ、尊皇開国の捨て石となって非業の最期を遂げる。●その後四年で明治維新の世を迎え、象山の尊皇開国という憂国の至情がそのまま具現化されたのである。(財団法人佐久間象山先生顕彰会)
県歌「信濃の国」に国の偉人として紹介され歌い込まれている

・参考:象山神社紹介文から
   ・全国神社名刊行会編纂「全国神社名鑑」
・制作:98/11/21

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