名称
仁科神明宮(にしなしんめいぐう)
仁科神明宮中門
 仁科神明宮中門

仁科神明宮本殿・釣屋
 仁科神明宮本殿・釣屋

位置
大町市市街から南に約6キロメートルの丘陵地にある大町市大字社字宮本の古木が鬱蒼と繁る、宮山の南麓に鎮座し、東方はテーブル状の大峰山系(1016メートル)に連なり、西方は田園地帯を見下ろす彼方に高瀬川の清流を隔てて雄大な北アルプス連邦を望むことが出来る風光明媚な地にある。
主祭神
天照皇太神
由緒
むかし皇大神宮御領であった仁科御厨(みくりや)の地に勧請(かんじょう)された。その創始年代は明らかではないが後冷泉天皇(在位1045-1068)ではないかといわれている。信濃でも一番古い。古族仁科氏が御厨に拠り、400年の長い間、神事を司ったが、天正10年(1582年)滅びてからは、江戸時代は、松本藩主小笠原貞慶が神領として朱印15石を寄進し、以後松本藩主代々の祈願所として、明治になってからは仁科66郷の総社として郷土の人たちの崇敬が深く、明治5年に、郷社、明治26年に県社となった。わが国7神明宮の一つにも数えられている。
祭礼
元旦祭 1月1日
祈年祭 3月14・15日(古式作始めの神事あり)
大祓祭 6月30日・12月31日
例祭  9月14日〜15日(太々神楽)
新嘗祭 11月22日〜23日
式年遷宮祭 伊勢神宮に習い20年ごとに斎行されている。:次の大祭式年遷宮祭は平成十一年霜月に斉行の予定!!
名跡 社殿の本殿、中門、釣屋 は、国宝。昭和28年3月指定 。
寛永13年に松本藩主松平直政が奉仕、大工金原周防に建替えさせたもので、 以降十数回の修理を受け、昭和11年保存法により解体修理が行われた。
本殿:桁行3間、梁間2間、軒高6.6メートル、棟木の長さ8.3b余の日本最古の神明造り屋根は檜皮葺で棟木の上には巴紋を付けた鰹木6本が置かれている。破風板はそのまま延びて千木となり破風板には、それぞれ4本の鞭掛があり、妻には棟持柱があるなど、構造手法に古式が伺われ、神明造りの原型式を濃厚に保存している点、建築史上貴重な遺構である。 細部は概ね室町時代の様式を伝えている。
中門:御門屋といい、四脚門、単層で屋根は切妻造、檜皮葺である。 本殿同様に、破風板が延びて千木となり、鞭掛が4本付いている。鰹木は4本である。
釣屋:本殿、中門を連結するもので、本殿屋根と中門屋根に棟木と桁をかけ、屋根は両下造の檜皮葺である。
重文木造棟札27枚御正体5面木製禁制札白銅制鏡
・伏見宮貞慶親王御染筆の「神明宮」扁額
銅製神印銀杯三ツ組杯
住所
〒398 長野県大町市大字社字宮本
電話:0261-62-9168
交通
鉄道:大糸線「安曇沓掛駅」から高瀬川にかかる宮本橋を渡
   って徒歩約30分
   大糸線「信濃大町駅」から明科行き定期バスを宮本停
   留所下車徒歩約10分
車 :長野自動車道豊科ICから国道147号線でまたは国道
   19号線経由県道大町明科線でそれぞれ約25分
照会
大町市商工観光課:0261-22-0420
解説
太々神楽
長野県無形文化財、昭和44年指定
仁科氏時代から伝承されてきたといわれ剣の舞、岩戸神楽、五行の舞、水継、幣の舞、龍神神楽、道祖神の七座(明治以前はこのほかに”大蛇の舞”があったで、いずれも神話に基づきて作られた神楽である。面、装束をつけて古式ゆかしい笛や太鼓の音に合わせて舞うものと、謡曲によって能楽を演じるものとがある。古風で簡素な中にも神厳優雅な気品を備えており、全国的にも類例のないものとされている。
古式作始めの神事
長野県無形民族文化財、平成2年指定
往古より作始め(お田植え)の神事は旧暦2月9日の祈年祭に行われていた。2月9日(現在は2月17日)は、伊勢神宮でも祈年祭の行われる日であり、神宮との深い関わり合いを知る上からも興味深いものである。明治維新以降太陽暦に改めた際たまたま陰暦2月9日が新暦の3月15日であったので、以降その日を持って祈年祭とすることにした。所作は25種あり、神楽員が、白丁姿で行う古式ゆかしいものである。
仁科氏:平安時代の終わり頃から、仁科の庄を納めた豪族。仁科の庄は、大町周辺の安曇野の地。県歌信濃の国に歌われている「仁科五郎信盛(盛信の誤り)」は、武田信玄の五男で、仁科氏に養子として入った。兄武田勝頼の命により天正十年に高遠で織田信長軍と戦い、壮烈な討ち死にを遂げ、仁科氏は滅亡した。
備考 平成11年(1999)に式年正遷宮祭が行われ、社殿などが造営修理されて清々しい境内となっている

・参考:「仁科神明宮」のホームページ
・更新:97.11.15・98/12/15・00/01/04

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